徒然草序段

徒然なるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ

さて、あまりに有名な、おそらく多くの人が学校の授業で目にしているであろう徒然草の序段だ。
島内裕子教授(ちくま学芸文庫2010年)を参照しながら考えてみるw

「さしあたってしなければならないこともないというツレヅレの状態がこのところずっと続いている」

これって・・・ニートや自宅警備員や定年退職後の親父じゃないかw
徒然草の卜部兼好、兼好法師は、20代には後二条天皇の蔵人という宮廷人だ。当時の社会で立派な仕事をしていたわけだが、ボスである後二条天皇が亡くなって、神道の家柄のくせに仏道へ出家。エリートコースからスピンアウトしたわけだな。親は嘆いたかな、見捨てたかな。いよいよニートなんだが、違うのは、仏道への出家なら、一応親のメンツは保たれるわなあ。

「こんな時に、一番良いのは、心に浮かんでは消え、消えては浮かぶ想念を書きとどめてみることであって、そうしてみて初めて、みずからの心の奥に蟠っていた思いが浮上してくる」

う~ん・・・。島内裕子教授(ちくま学芸文庫2010年)の現代語訳は、この節に関して、まだまだ続く。この一節に関する長文の現代語訳は、まさに長年の研究の成果があるからこそ「あやしうこそ物狂ほしけれ」について、根拠があって書けることで、にわか徒然な、俺にはとうてい無理w

しかし、なんか、ニートなり、定年退職後の親父が、ブログなりSNSなりで、なんだかんだ書いているのと似てきているよな。兼好法師の場合は、それが100年経って評価されたわけなんだけど、そうねぇ・・・・。今あふれかえっている無料ブログなどに蓄積された膨大な文章は、どうなることやら。時代を考察する歴史的な資料にでもなるかねw
そして、この部分だけをとりあえげると、徒然草の兼好法師は、ニートや自宅警備員と変わらないwと思えるけれど、段を追っていくと、精神性や社会性が、まったく異なることがわかってくる。

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